Artist Talk : SEASON LAO フランス ニース国立東洋美術館 図録出版記念展
SEASON LAO フランス ニース国立東洋美術館 図録出版記念展
Artist Talk: シーズン・ラオ、聞き手:岡部 るい(福岡県立美術館学芸員)
2024年6月8日 午後3:30~5:00 Venue:ギャラリーモリタ (Exhibition : 2024.5.25 – 6.23)
岡部: 今日はシーズン・ラオさんの、ニース国立東洋美術館の個展での図録が出版されたことを記念して、その展覧会について、またラオさんが普段どのようなことに関心を持って制作に取り組んでおられるかということを、聞き手としてうかがっていきたいと思います。
岡部: ご出身のマカオに関連して、うかがいたいと思います。16世紀に九州から派遣され、ヨーロッパと日本の交流に貢献した「天正遣欧少年使節」の副使、原マルチノは、禁教令後マカオに渡りました。当地で亡くなり、マカオの聖ポール天主堂跡に葬られました。ラオさんは2016年に「さっぽろ雪まつり」で、聖ポール天主堂跡を14メートルの大雪像として設置する企画に携わっておられますが、マカオにおけるキリスト教とのかかわり、またラオさん自身のルーツについてお聞かせください。
ラオ: マカオの文化は主に仏教、道教、キリスト教と関わっています。私はポルトガル領マカオの時代に華人の家に生まれました。私自身は特定の宗教の信者ではありませんが、マカオの正式なポルトガル名は「最も忠貞なる主の名の街・マカオ」 “Cidade do Nome de Deus de Macau”であり、つまり町の作りもキリスト教と深く関わっています。聖ポール天主堂跡は、16世紀の東アジア初の西洋式大学である聖ポール大学と隣接する、聖母教会のファサードでした。現在もマカオのシンボルとして認識されています。
岡部: ポルトガルの宣教師たちは、マカオを拠点にアジア各地へのキリスト教布教につとめました。日本でも布教活動が行われましたが、時の為政者がキリスト教に対して脅威を感じ、弾圧を行った歴史があります。長崎の潜伏キリシタンの美術品には、ひそかに崇拝された「マリア観音像」があります。マカオではキリスト教弾圧はありませんが、「マリア観音像」のようにキリスト教と東洋の文化が融合したものはありますか?
ラオ: 今の話で、京都の大徳寺で見た、大友宗麟を偲び造られた枯山水「隠された十字架の庭」を思い出しました。マカオではイエズス会の聖ポール天主堂跡にある彫刻に、東洋の要素が取り入れられた部分があります。私が子供の頃、ザビエルの聖遺骨を安置した聖フランシスコ・ザビエル教会で、聖母マリア、子安観音、道教の媽祖のイメージが融合した絵が印象的でした。ところで、ポルトガル国立現代美術館が2019年にマカオ関連展示会をキュレーションしましたが、その展示は私の「自然余白」作品をイメージして、タイトルを「翼のある橋」Pontes Aladasにしました。
岡部: 2007年頃、ラオさんがマカオ理工大学に在学中、マカオにおける中国、ポルトガルのコミュニティを背景にした映像作品を制作し、マカオ文化センター、広州美術学院、台湾の美術館などで発表されています。『百年菉荳圍』は、ラオさんの芸術活動の端緒、はじまりにあたりますが、その制作経緯を教えていただけませんか?
ラオ: 2000年代マカオは外国資本にもカジノの経営権を開放しました。ラスベガスブランドと提携した資本などのリゾート建設ラッシュが起こっていました。その背景で、私は当時マカオにある唯一の芸術大学の夜間部に入学し、日中は変わりゆく地元の文化を調査し、映像アーカイブなどの活動をしました。その成果である2本の映像のひとつは、マカオにあるポルトガルのコミュニティの取材でした。マカオでは華人とポルトガル人の混血のことをマカイエンサと呼んでいます。マカイエンサの移住者の声を聞くため、サンフランシスコ、リスボンにまで行きました。
もう1本の映像、『百年菉荳圍』は、マカオにある中国のコミュニティです。私の生家を含む、清の時代に作られた歴史的建造物群における話です。元々取り壊される予定でしたが、作品が反響を呼び、作品集が出版され、取り壊しが中止となりました。その時代、地価が高騰したマカオでは中々稀なことでした。
岡部: ラオさんは2009年から北海道に10年間滞在しました。なぜ北海道だったのですか?
ラオ: 北海道での滞在は偶然でした。当時私はマカオの大学のインターンシップ期間に、北欧のライフスタイルの素朴さを体験したいと思っていました。ノルウェーの会社からオファーを貰いましたが、大学では外国の前例がなく、ビザが間に合わないため、北欧は断念しました。その後北海道、サンフランシスコ、ベルリンの中から、一番素朴感がありそうな北海道の伊達市を選びました。その会社は翌年私に札幌で入社しないかと声をかけてくれました。
岡部: 北海道で純粋経験に触れ、自然現象から「余白」にまつわる作品を制作したという文献がありましたが、その時のことを詳しく教えていただけますか?
ラオ: 最初のきっかけは伊達市で出会った20年ぶりの吹雪です。真白の雪に包まれたことによって、主客未分の意識現象を体験しました。その経験は日常に戻ることによって一旦薄らぎました。翌年、東日本大震災の頃、無常に気付き、思い出したことをきっかけに、独立して「自然余白」に関する作品を作り始めました。
岡部: 北海道の自然がラオさんの制作活動に大きな影響を与え、きっかけとなったのですね。
ラオ: 北海道の自然は豊かさがあり、全ては人間に対象化されていないことによって、感応が働くことも可能になると思いますが、私もその恩恵に恵まれました。
岡部: ラオさんは現代美術家として様々なメディアによる表現に取り組んでいますが、その中で、「自然余白」にまつわる作品は写真を表現手段として用いています。2014年マカオ芸術博物館から「第14回中国平遥国際写真展」への出品、2015年 イタリア・コモ市の企画『L’uomo nel paesaggio』での展示と出版も写真に関連したプロジェクトですが、写真というメディアに対してどのようにお考えですか。
ラオ: 私は、写真は現象世界においては人間の目の代わり、つまり現象世界と結びつくメディアだと思います。そして人間の身体に似た両義性を持ちます。物質でありながら、非物質的な知覚も反映できると思います。
対象化する写真の分野と美術の関係は錯綜しており、19世紀の画家が下絵として写真を利用し、ピクトリアリスムの時代には写真が油絵を模倣しています。社会性、利便性を持つ写真は、さらに現代の消費社会によく使われており、偏見を持ちやすい媒体でもあると思います。「写真」という言葉を聞いた瞬間、ある鑑賞者は述語を尽くして自己始末的な行為に陥ります。こういった悟性の働きの停止は2、3百年前、ヨーロッパの啓蒙時代に認められ、その反省において、観念論が発展してきました。
岡部: ラオさんは日本国内外の様々なところを行き来されていますが、2020年、京都に拠点を置いたのはなぜですか?
ラオ: 2016年以降、展示会で海外に行く機会が増えました。移動の面で、本州の拠点があった方が良いと考えました。関西には割と親しみがあります。大阪では審査員の依頼を毎年受けており、京都の企画画廊にもお世話になっています。パンデミックの際に、京都市内から郊外の里山に拠点を移しました。
岡部: 2019年発表の《氷蓮図》は、アメリカ・バーモント州のWilson Museumなどで展示されましたが、ラオさんの作品と東洋美術の視点から「間」、「余白」についてどのようにお考えですか?
ラオ: 「間」、「余白」は東洋思想の一切の事物の根源であり「無」の側面でもあります。北山、東山文化にも表れています。文脈は異なりますが、状況全体を表現する、アメリカのミニマル・アートにもよく「余白」が見られます。《氷蓮図》の元は東北で私が出会った凍った蓮の池です。命の循環を感じる蓮の「余白」は、ミニマル・アートのソル・ルウィットの作品と同時に展示されたことがあります。
《氷蓮図》の収蔵先も様々です。ニセコではリゾートホテルの部屋の中にある茶室に設置されています。美濃では陰陽関係を表す歴史的な茶室の真ん中に設置されていますが、朝倉では九州北部豪雨の被災木で作られ、無常を感じる方丈板倉に設置されています。
岡部: 2023年に開業したザ・リッツ・カールトン福岡にもラオさんの「自然余白」にまつわる作品が常設展示されています。九州に関連した作品とうかがっていますが、どのような作品ですか?
ラオ: 18階のホテルロビーには九州各地で取材した作品が多数あります。佐賀・天山の雪、福岡・朝倉の靄、宮崎・高千穂の霧です。これをきっかけに、私は今でも九州を旅しています。天孫降臨と関わる霊峰高千穂峰で出会った霧、英彦山中にある鬼杉が印象的です。
岡部: ラオさんの「自然余白」にまつわる作品と「縁起」の関係をうかがいたいと思います。
ラオ: 作品の源も自然現象との邂逅であり、「縁起」という関係性です。こういった水気があがる瞬間において、此方と彼方という相反する概念が消え去り、自分がいる場こそが虚像となり、あるいは自分も虚像の一部となります。自然現象である霧、雪の「余白」の流動によって、虚実両方とも成り立つ瞬間、心から遠くまで「無限」に思いを馳せます。
岡部: 2023年フランス・ニース国立東洋美術館の個展に登場したインスタレーション・パフォーマンス《虚室・生白》も「自然余白」から着想を得られたのでしょうか?
ラオ: パンデミックの際に、私は京都の文化財寺院で、自然余白に感応した着想を具現化する実験をしました。仏教の浄土思想を象徴する庭で、此岸と彼岸の間に白霧が生じる、インスタレーション《可視・不可視》を発表しました。人間と物象の位相にある主体/客体、外部性/内面性との境界を越えることを試みました。そういった主客未分の状態を、私は「容中律」と呼ぶのも相応しいと思います。このインスタレーションは《虚室・生白》の原型とも言えます。
岡部: 主客を分けて取り組むというよりも、主客が入り交じるような姿勢で作品に取り組まれているのですね。
ラオさんの作品は、「容中律」と「縁起」が重要なキーワードとなっています。最近は多様性を表す様々な言葉がありますが、「容中律」は二項対立で規定されるものの境界を取り払うこと、どちらでもない、どちらでもあるといった意味の言葉という解釈でよいでしょうか。
ラオ: 古代の東アジアには「天人合一」という言葉があります。人間と自然は区別するものではなく、互いに含まれるという考えです。フランス・ニース国立東洋美術館内の一ヶ所にガラスの空間があります。そこから池の景色を眺めると、高床から海に見立てた荒海の砂利を眺める感覚が思い起こされました。屋内と屋外を接続する「縁側」のようなその空間にインスタレーション《虚室・生白》を設営しました。自然の営みにより寸断された倒木を周りの景色と一緒に見立てました。匿名の人物が切り株に座り、そして空間に霧を発生させます。同時に芸術における主体と客体の関係、「容中律」の可能性を考察します。
岡部: 廖新田氏批評に「シーズン・ラオは、アートは素材や技術の優位性を強調するものではなく、言い換えると『トランスマテリアル』な方法で作品の物理的な境界を越える芸術経験の追求であると考えている。」とあったことを思い出しました。確かにラオさんの作品を前にすると、縁起に関わる、追体験装置のような感覚を鑑賞者として抱き、ラオさんの世界観に出会うことができるように感じます。
岡部: 九州と東アジアの交流史と関わる沖ノ島、宗像などの要素が含まれた《寒松玄海図》は、ザ・リッツ・カールトン福岡のエントランスにふさわしいサイトスペシフィックな作品ですね。こちらも「自然余白」に関連した作品だと思います。安土桃山時代の長谷川等伯の水墨作《松林図》の世界観への関心をお持ちとのことですが、どのような観点から制作されましたか?
ラオ: ザ・リッツ・カールトン福岡は九州最上級ホテルとして広く知られています。建築自体である福岡大名ガーデンシティは今の時代、福岡の再開発の代表施設でもあります。こういった意味では、この1階全体のエントランスにある作品は、来客をお迎えする以上のものが必要となります。古代九州における伝説、そして東アジアとの交流を顧みながら、さらに世界と繋がってゆく玄関口として息づくものを期待されました。
そういった経緯で、作品の展開は「永遠」と関わることになります。永遠とは、私は人間が対象化する有限的な時間軸の考えではないと思います。例えて言うならば、哲学のイデア界、禅宗の悟りの境地で命の限界を越えた存在であります。そのため、日本では禅宗の一部を具現化した室町時代の茶室において、「無限」の奥深い空気を表した牧谿の作品を重宝していました。
東洋の「無」は万物の根源であり、老子は「有は無から生ずる」と言いました。牧谿の作品を意識していた長谷川等伯は、人生のどん底で一度「無」に気づき、《松林図》を創造したと思います。
松は人格者の象徴でもあります。物質的な面では、《寒松玄海図》は無数の染め糸を吊るして構成したインスタレーション作品です。一本一本の染め糸は「間」を保ち、風に揺れることもあります。本作は、等伯の《松林図》と共通の精神性を持つと思います。それは「虚実相生」を通じて、表象世界から逸脱し、「永遠」を垣間見ることが可能だと思います。
岡部: 「無」に基づいて思想を展開していくのが東洋であると先ほどもおっしゃっていましたが、ご自身の作品を言葉で語っていただく中で、そうした思想はラオさん自身の精神にも一貫しているように感じました。
ラオ: 《寒松玄海図》のために松を取材した際に、房総半島で神仏習合を反映した像に出会いました。千年の月日と共に、顔が剥けてしまっていますが。仏教の言葉では一切の執着から離れたことを「無相」とも言います。その像から三次元技術で制作した作品は、ニース国立東洋美術館の常設コレクションとして収蔵されました。
岡部: 色々な作品を見せていただきました。様々な「縁起」と向き合って制作されているのですね。ラオさんは、展示空間(場)もまた縁起としてとらえ、場に対する理解を深め、感応し、場にふさわしくインストールなさっています。丹下健三設計のニース国立東洋美術館でも、あたかも立体曼荼羅かのようなインスタレーションだとお見受けしました。
ラオ: ニース国立東洋美術館の個展をきっかけに、東京国立代々木競技場、丹下都市建築設計からのご協力もあり、モダニズム建築家丹下健三氏の考えに触れる貴重な機会をいただきました。建築自体は東京新都庁と同時期の晩年の作品です。東洋思想、庭園建築の要素を取り込み、大地と融合した格調高い美術館です。
密教では両界曼荼羅は宇宙全体の生命の世界を構成すると考えられています。美術館の外観が、真上から見下ろすと、△、○、□の順序で構成されていることに着目しました。このことから、慈愛が広がるイメージの胎藏界曼荼羅図面と一致していると考えました。中心の「△」は悟りを開いた大日如来坐像であり、「○」は周囲の八体如来の円方です。「□」は四方に広がる菩薩のように見えます。また、美術館には中央部を貫き、軸となっている螺旋階段があります。湖に沈んだ地下、地上と最上階まで繋がる道です。悟りへ至る道程を表す金剛界曼荼羅図の渦巻型のように読み進めることができます。私の22メートルの《寒松三日月図》もそういった円満空間で、仏像と一緒に見立てています。
有機的なものと非有機的なものが「縁起」的に出会うことは、ミクロコスモスの中でこそマクロコスモスが輝き出す詩的な瞬間でした。
岡部: ラオさんの作品は崇高な世界観へと鑑賞者を誘います。その中に表れる「自然余白」、「縁起」の考察、「容中律」などの思想は、現象学・哲学の分野の方たちからも関心を集めると思います。
ラオさんは西田哲学の研究者とも対談していましたが、近代では、自然を広大なものとして、次々と自然から搾取し、私たちの生活を便利にするという制度的な考え方で進み、20世紀にはいるとそれでは立ち行かなくなる状況が生じてきました。西田哲学はこうした状況を救いうる哲学として明治時代に注目されたと言えます。
ラオ: 西田の重要な研究は主客未分の意識現象のことだと思います。一切のものはその展開の諸相であると西田は言っています。「主客未分」、「容中律」に関して、現代において人間と自然の関係性を見直すきっかけになりえると思います。
西洋哲学、東洋思想はいずれにしても、人間活動を支えると同時に、現象世界の中にいる私たちに真の存在を示唆しています。芸術はさらにその次元を垣間見せ、命の輝きが可能な瞬間だと思います。
岡部 るい(Okabe Rui) 福岡県立美術館学芸員。2009年大阪大学言語文化研究科修士課程修了。主な展覧会に「豊福知徳寄贈記念 光の探求」(2021、福岡県立美術館)、「寄贈記念展 野見山暁治」(2022、福岡県立美術館)
シーズン•ラオ(Season Lao) 現代美術家。1987年マカオ生まれ、マカオ理工大学卒業、京都拠点。2009年映像作品が反響を呼び、取り壊される予定の生家を含む歴史的建造物群が再評価・保持され、芸術活動の契機となった。2010年から10年間北海道を拠点とし、自然現象の「虚実相生」から着想を得て、「縁起」を洞察し、雪、霧から生じる余白を取材した平面作品を国内外で発表。2020年から京都に拠点を構え、コロナ禍においては、浄土寺院などで「容中律」を具現化し、人間と物象の間にある外部性と内面性の境界を超越するインスタレーションを展開。2023年、フランスの三大国立東洋美術館のひとつである、ニース国立東洋美術館の25周年における個展開催。 パブリックコレクション: マカオ芸術博物館、ニース国立東洋美術館、セルヌスキ美術館(パリ)、おおさか創造千島財団、ザ・リッツ・カールトン福岡、雪ニセコなど